月曜日, 5月 28, 2007

アフォーダンス

部屋に入って,ボールと椅子があったとき,普通,ボールをけっ飛ばして遊んで,椅子に腰掛ける.
誰も,椅子をけっ飛ばして,ボールに腰掛けようとはしない.

これは,椅子自身が,座るものだということを,人間に思い起こさせ,ボールはけっ飛ばすものだと人に訴えかけているからである.

男子トイレが青色のマークで,女性トイレが赤色のマークなのも,過去の経験などを人に思い起こさせるためだと考えられる.
すなわち,そのマーク自身について,人間が新たに知るべき情報を極力減らすことが出来るので,ユーザは迷うことなくトイレに駆け込むことが出来る.

もしも,引き戸にドアノブがついていたら,とんでもなく使いづらくなってしまう.
これは,過去の経験との相違があり,さらに,その扉について,人間が新たに学習しないという負担を課してしまうためだと考えられる.
学習は楽しいものであるが,主題や目的と外れた学習は,人間にとって苦痛であるのだ.

オブジェクトがどうすればいいか物語らなければ,よいUIとは言えない.
機能が豊富であれば良いように思われるけれど,豊富な機能を学習しなければ,使えないのはあまりよろしくない.
なんでも出来ます,とうたわれているものが,実は何も出来ないのはよくあること.

昔はパソコンさえあれば,何でも出来ますと言われていたけれど,最近は,ネット接続や,マルチメディアなどに的を絞って宣伝している.
何でも出来ますは,実はユーザにとっては何も出来ないことだったのだ.

以上の考察より,

「何ができるのか?」

を,明確にした上で,

「どうすれば.その出来ることを実現できるのか?」

を直感的に人間に分からせるようなインターフェースを実現できると,人間に優しいソフトウェアが出来上がるのではないかと思う.

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